スウィーニー・トッド 

ジョニーデップの才能の奥深さ
*キャスト&スタッフ

監督:ティム・バートン
脚本・制作:ジョン・ローガン
作詞・作曲:スティーブン・ソンドハイム
出演:ジョニーデップ(ベンジャミン・バーカー&スウィーニー・トッド)、ヘレナ・ボナム=カーター(ミセス・ラベット)、アラン・リックマン(ターピン判事)
2007年アメリカ映画

*ストーリー**************
19世紀のロンドン。無実の罪を着せられていたスウィーニー・トッドが15年ぶりに戻ってきた。美しい妻がターピン判事に目をつけられ、彼女を我が物にしたかった彼には理髪師のスウィーニーは邪魔だったのだ。ロンドンに戻ったスウィーニーの心には妻と娘を奪ったターピンへの復讐しかなかった。昔借りていた二階の店に戻るスウィーニー。その一階には以前と同じくミセス・ラベットが売れないパイ屋を営んでいた。15年ぶりに理髪店を再開するスウィーニーはターピン判事の自宅に、連れ去られた娘が監禁されていることを知り、さらに憎しみの炎を燃やす。ふとしたきっかけで関係ない人間をカミソリで手に掛けてしまったスウィーニー、そこから彼のおぞましき殺人の日々が始まってしまう。そこにミセス・ラベットがとんでもない申し出をする。そして一階のパイ屋では不思議なミートパイが売られ始め、店は大繁盛。スウィーニーとミセス・ラベットの将来は…復讐の行方は…
************************

NYブロードウェイで上演されている数々のミュージカルの中でもこのスウィーニー・トッドは作曲家ソンドハイムの音楽の難易度の高さで有名であり、ブロードウェイの俳優陣の中でこの「スウィーニー〜」に出演している俳優陣たちはワンランクもツーランクもグレードが違うのだと言われている。実際にNYのその舞台を見た時はあまりの音楽の複雑さ、メロディの中の歌詞の多さに仰天してしまったほどである。超絶技巧、とでも言おうか、そういうミュージカルが映画になって、音楽はやはりソンドハイムの手によるもの、そして監督と俳優がティム・バートンジョニー・デップ…となれば、現代に生きる作曲家として、そして映画が大好きな一ファンとしてもそれは興味津津だった。
ジョニー・デップは映画俳優になる前はロックミュージシャンから活動をスタートしている。ここで私は大きな誤解をしていたのであるが、彼が歌が歌える、と思い込んでいた。それが違ったのである。ギターを弾いていただけで歌を一曲丸々歌った経験はなかったそう。
それを知った時は驚愕!でしか…なかった。
ソンドハイムの音楽はメロディは存在するので、いわゆる現代曲のジャンルとは少し違った音楽だけれど、歌詞が猛烈な速さで細かなメロディに入ることがほとんどで、さらにリズムの取り方が難しく、テンポはくるくる変わる。特にルバート(突然ブレーキをかけたように遅くなっていくこと)が特徴。
そして問題は、メロディがあるのに毎回フレーズ毎に調性が変わっていくので、歌う方はその不自然な音程をしっかりと取らないと次でとんでもない恐ろしい不協和音になってしまう危険に囲まれている。
ブロードウェイ上演の際の楽器構成は10人程度の室内楽。非常にタイトな音楽の構成だった。
今回、ソンドハイムは映画化にあたり、音楽のオリジナリティを保ちながらかなり手を入れているが、映画版の音楽はフル・オーケストラになり、その結果テンポ感はかなりゆるやかになっていた。響きはゴージャス。オーケストラになれば和音が多くなる。となると歌い手は先に鳴っているガイドの音から自分の音を拾えるのでかなり楽になるはずなのだ。それにしても…それにしてもやはりプロでなければ難しすぎる…プロにしても難しいだろうと思える。
それをジョニーデップは正確に、全く正確に歌う。しかもそれに必死なのではなく、それは単なる演技の部分にすぎない。あまりに自然なその歌と演技のなめらかさ。相手のミセス・ラベット役のヘレナ・ボナム=カーターも互角に歌う。素晴らしい。このとんでもない超絶技巧の音楽を歌うのになぜ皆揃って音程が良いのか不思議でならなかった…
のっけの歌から、ジョニー・デップの耳はものすごく良いのだと感嘆した。もとからジョニ・デップは変わった、エキセントリックな役柄を好んでいるように思われているが、実は伝統的な、古いヨーロッパが舞台になっているような質の高い作品の、セリフの多い正統派の役では素晴らしい能力を発揮している俳優であり、「リバティーン」「ネバーランド」等ではそういう彼のシチュエーションに応じた発音、セリフ回しの違いの素晴らしさを堪能できる。
それゆえ、19世紀のロンドンを舞台にした凄惨な事件の実在の主人公、スウィーニーを演じるジョニーは魅力に溢れていた。
ソンドハイムの難解な歌を何気なく織り込んで歌い、150年も語り続けられたという、復讐に満ちた人生を送らざるを得なかったその実在の人物、スウィーニーを演じられる俳優はやはりこの人以外にいない。ジョニーデップの今までの役者人生を賭けたかのようなこのすさまじい熱演を見れば、ジョニー・デップが何度ものノミネートの後に今回、初めてゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞したのは当然とも思える。
映画史上、歴史に残るミュージカル映画作品になったとも言える「スウィーニー・トッド」。ホラーミュージカル、という聞き慣れないジャンルとしてもぜひ、ご堪能いただきたい作品である。


スウィーニー・トッド
ブロードウェイ上演の「スウィーニー・トッド」のオリジナルプログラム

♪ブロードウェイ版とシネマ版の音楽の聞き分け♪
ブロードウェイ版視聴
シネマ版視聴(歌はもちろんジョニー・デップ)

アイ・アム・レジェンド

*キャスト&スタッフ
監督・製作:フランシス・ローレンス
原作:リチャード・マシスン
脚本:マーク・プロトスビッチ
音楽:ジェイムス・ニュートン・ハワード
出演:ウィル・スミス、アリーシー・ブラガ
2007年アメリカ映画

*ストーリー**************
2012年、人間の姿が消え、死んだように静まり返るNYの街。この街で生活しているのはたった一人、ロバート・ネビルのみ。3年前に発生したウィルスによって人類は滅亡が目前のように見える。夜になればそのウィルスによって突然変異した肉食生物=ダークシーカー達が食物を求めて街中の生物に襲いかかる。愛犬サムと一緒に暮らしながらもウィルスに冒された生物への抗体を発見する研究を続ける伝染病学者ネビル。果たして人類滅亡に光はあるのか…
************************

1954年に発表されたリチャード・マシスンの同名処女長編であるSF小説の3度目の映画化。想像よりはるかに薄気味悪い作品で、当初見終わってから怒りに似た気分の悪さを覚えた。その原因は孤独感への恐怖だったように思う。徹底的に人間が出てこない作品である。ウィル演じるネビルは悲劇的に蔓延したそのウィルスに抗体を持っていて生き延びられている伝染病学者という設定。ネビルは孤独と闘いながら愛犬サマンサと自給自足の生活を送りながら抗体の研究を続けるが、自分以外に人のいない薄気味悪さの中でも決して希望を失わない。この作品での見ものは何といっても信じられないNYの街の風景。草はぼうぼう、たくさんの車が路上に放置されたまま埃をかぶり、その中を野生動物が時々往来する。本作は同地区において200日の長期にわたる区画封鎖撮影の許可を取った異例の作品なのだ。そこからさらにCGにより、人影をすべて排除している。映画史上例を見ないとも言われる、この圧倒的なゴーストタウン描写は猛烈なリアルさをもってスクリーンを覆い尽くし、見る者を見事に見たことのないNYへと連れて行ってしまう。しかもこのゴーストタウン、不健康さは微塵もなくむしろ草木が溢れるように成長して繁り、日差しはさんさんと降り注ぎ…といった具合に非常に健康的な風景になっている。が、しかし、そこに人っ子一人いない不気味さが、薄気味悪さをさらに強調する結果になっている。
監督のフランシス・ローレンスは映像作家として数々の受賞でミュージック・ビデオの監督としてのキャリアの方が先に有名になったが、記憶に新しいところでは2005年に上映された「コンスタンティン」で監督を務めている。そう言われると何となく孤高な雰囲気やミステリアスな映像などのタッチに共通の香りを感じた。

3度も映画化される作品、それは何といってもその原作に魅力があるに他ならず、その原作が1954年に書かれていた事も非常に興味深い。その当時なら全く想像を絶する世界が、今やそのCGの技術を駆使して逆にアナログ的な原始的な表現を徹底し、見事にリアルなバーチャルワールドとして体感できる。本作品は現代における再映画化の裏に、そういったCGテクニックの成熟を大いに感じられる見事な作品であり、さらにそのスタッフの熱意と原作・脚本とのコラボレーションの妙が作品をますます素晴らしいものにしていると言えよう。
そして言うまでもないが「幸せのちから」でアカデミー賞ノミネートとなったウィル・スミスの、極限での人間の心理の表現がナチュラルなのにシリアスで素晴らしい。
I am Legend

プロヴァンスの贈り物

*キャスト&スタッフ
監督・製作:リドリー・スコット
原作:ピーター・メイル
音楽:マーク・シュトレイテンフェルド
出演:ラッセル・クロウマリオン・コティヤールアルバート・フィニーフレディ・ハイモア
2006年アメリカ映画

*ストーリー**************
ロンドンで多忙な毎日を送るマックスに、南仏プロヴァンスのシャトーに住んでいるヘンリーおじさんが亡くなった知らせが届く。十数年も疎遠にしていたヘンリーおじさんはそのシャトーでワイン造りを楽しんで暮らしていた。最も近い血縁者として遺産相続する事となったとなったマックスは即刻そのシャトーの売却を決め、手続きのために南仏へ。法的手続きの後にとんぼ返りでロンドンに戻るはずだったが…様々なアクシデントに見舞われておじの邸宅に短期間の滞在を余儀なくされる。その滞在で彼が得たものとは…
************************

映画作品の場合、何気ない作品を何気なく作ることは非常に難しいと思えるが、その何気ない、いかにもクセのない作品をリドリー・スコットラッセル・クロウの名コンビで作り上げてしまった、と感激してしまった。もちろん一見何気なく見える作品にはきめ細かな隠し味がここかしこにあり、作り手は何気なくなんか作っていられなかったであろう事はよくわかる…
まず驚くのが今回のキャスティングのラッセル・クロウ。今までのスクリーンでこんなにくつろいだり間抜けに見えるラッセル・クロウを見たことがない。それほどこの作品は見る人を癒してやまない魅力がある。
ロンドンの金融界で「敏腕トレーダー」の異名を取るマックス(ラッセル・クロウ)の忙しくエキサイティングな日々。エリートであり、勝ち組の生き方をしてきた彼には、一度たりとも自分の人生を疑ったり振り返ったりなどということはなかったはずである。そう、彼の人生は輝かしく、さらに自信に満ちている。
それがこの叔父の相続に関わって南仏プロヴァンスのシャトーを訪れ、さらにささいなトラブルからの、このシャトーから出られない一週間で、彼は人生を振り返り、さらに自分の生き方が正しかったのかどうかを考え始める。
自分を無にする事が出来たとき、彼の信念は新たな方向に向かい始める。そしてその決意は物質的豊かさから解き放たれた、心の温かさと孤独からの解放を彼に与える。たったこれだけのことだけれど、人間というのは容易にはその方向転換ができないし、自ら慣れ親しんだ長年の習慣を変える事には恐怖と苦痛が伴う。
これがこの、何気ない事のようで大変に大きなテーマなのである。
その、人としての豊かな熟成を助けているのが背景となる南仏プロヴァンスの溢れるような自然。明るい日差し、柔らかな風、ブドウ畑に立ち上る肥料の匂い、夜、暗闇に映える庭園の外灯。
時に、社会の大きな波に呑まれずに、自分自身の時間を止めてみる事も大切では…?と問いかけられた気がした…そんな作品。見終わった後に胸に広がるすがすがしさ、爽快感、近頃なかなかお目にかかれないキャラクターの作品。
是非DVDでご覧下さい。(1月11日発売)

 プロヴァンスの贈りもの

ベオウルフー呪われし勇者

*キャスト&スタッフ
監督・制作:ロバート・ゼメキス
脚本・制作総指揮:ロジャー・エイバリー
音楽:アラン・シルベストリ グレン・バラード
出演:レイ・ウィンストン(ベオウルフ)、アンジェリーナ・ジョリー(グレンデルの母)他。
2007年アメリカ映画
(c)2007 Warner Bros.Ent.All Rights Reserved
  
*ストーリー**************
6世紀のデンマーク。フローズガール王が盛大な宴を催す中に、醜く巨大な怪物グレンデルが姿を現す。人々を虐殺したグレンデルに頭を悩ます王は、褒賞を用意して討伐隊を募集。これに応じた戦士ベオウルフは、見事グレンデル撃退に成功する。戦勝を祝い再び華やかに繰り広げられる宴。しかし翌朝ベオウルフが目にしたのは、皆殺しにされた兵士たちの姿だった。彼はその犯人と思しきグレンデルの母親の元へと向かう。まばゆいほどに美しいグレンデルの母親は取引を申し出る…その取引とは…
************************

当初、ほとんどCGの作品、という事を知らずに見てしまい、すぐに後悔=やはり人間の表情などがゲームのCG描写のように見えてしまって…ところがストーリーが進むにつれてCG作品である事はどうでも良くなってきてしまった。それはなんといっても脚本が素晴らしかったから…
古代からずっと人間が抱えてきている欲望、煩悩との闘い、そして誘惑を断ち切れない弱さ、憧れとねたみの混沌とした気持ち…などを非常にきめ細やかに物語に盛り込んでおり、最後はヒーローと一緒に怪物退治に臨んでいるような一体感を覚え、興奮し、そして絶望し、そしてあいまいな悟りを感じたりして作品は終盤へと向かう。
ここでヒーローとして描かれている[ベオウルフ]は非常に人間的。英雄にもなりたいし、正義感も強く、ある種の虚栄心もなくはない。そして美しい女性にとても惹かれるし、それを敢えて隠しはしない。そして過ちがあれば公衆の面前でも、プライベートに女性の前でもきちんと謝る。
この作品は宣伝の時からなんといってもアンジェリーナ・ジョリーのそれはそれは美しい姿態が映し出されていてそれに期待する人も多かったのではないかと思われるけれど、そう、これはボディ・マッピングはしてはいるものの、CGの作品なのだからその辺は生々しさが軽減されている。とはいうものの、これだけの美しさを持った女性がその女性を武器に誘惑をしてきたなら、断れる男性ってどれぐらいいるだろうか、と考えさせられる。古代から美しい女性はトラブルの元。そして英雄ほどいとも簡単にそういった簡単な計略にひっかかる…それも作品は語っている。そしてそういった美しい女性に翻弄された男性=ヒーローは大抵非業の死を遂げるものだ。この作品ではその辺はストレートに描いているわけでもないが、人間の性、というものを深く描いていることは興味深く、それらは歴史を通しても今なお、変わる事のない、人間の背負った業なのか。とも思える。アンジェリーナ・ジョリーは美しさもさる事ながら、今回はその声も大変に魅惑的でまさに今絶頂期に入った女優、の風格が際立っていた。
壮大なスケールのCG作品だけれど、その精神的な奥深さの表現で大変楽しめる作品。
ベオウルフ公式サイト]

 フレッシュデリ


THE GREEN BUTCHERS / DE GRONNE SLAGTERE
★キャスト&スタッフ
監督・脚本: アナス・トーマス・イェンセン
音楽: イエッペ・コース
出演: マッツ・ミケルセン (スヴェン)、 ニコライ・リー・カース(ビャン/アイギル)ボディル・ヨルゲンセン (ティナ)、 リーネ・クルーセ (アストレッド)オーレ・テストラップ(ホルガー)

2003年 デンマーク
★ストーリー****************
ホルガーの肉屋で働いていた スヴェンは人嫌いでいつも周りの人にイヤミを言い続けるので友人もいない。一緒に働くビャンが唯一の話し相手。そのビャンを誘い独立して二人で新しく肉屋を開店するがお客が来ない。そんなある日、冷凍庫で作業中の電気屋がいることを知らずにスヴェンが鍵をかけて帰ってしまった。翌日、冷凍庫で死体となっていた電気屋を見つけたスヴェンはやむ終えぬ事情でそれを食肉加工してしまう…一方ビャンは若い頃に弟の運転する車に乗って家族を交通事故で失い、その事がトラウマとなりマリファナを常用している…
デンマーク映画の特徴はシリアスな話題を扱いつつも観客がシリアスに受け止めなくていいように作られている事。良い意味でのあいまいさが魅力になる事が多い。この「フレッシュ・デリ」に於いても登場人物それぞれが悩みを抱えていながら生活しているのだけれど、それが最後に一気に解決していく。ストーリーには無理が多すぎるのだけれど、サスペンスものとするにはコミカルすぎてそのバランスが面白い。デンマーク作品を観つづけているとそのストーリーの無理さ加減にも慣れてくる。

007でクールな「ル・シッフル」を演じたマッツ・ミケルセンのあの、不自然なカツラ頭がすごい見もので、彼は役柄ごとに大変身する。何度観てもおなかを抱えるほど可笑しくて、それでいてホロリとしてしまう。

スヴェンが人肉マリネを作り出した言い訳は、言い訳には当たらない。けれど、その事件によって出口のない不幸だと思い込んでいたスヴェンとビャンの心の中のトラウマが実は、掘り下げられて知らない間に治療されていく、というのがこの作品の面白さ。最後のやはり愚直なぐらいのシーンも心に安堵感をもたらす。結局、この作品は殺人事件には実はスポットを当ててない、というのが観客にもわかるから、そのトピックスについては無視してしまう、という流れが出来上がっているのが不思議、と言えば不思議な作品である。(潔癖な日本人の感覚ではあり得ないが)
ビャンの双子の弟アイギルは脳に障害のある役で登場するのだけれど、他の人が彼に障害者として接するのに対し、スヴェンだけが彼に手加減せず、まったく健常者のように接して彼を保護せず、彼にイヤミをいったりいじわるをする。これが非常にナチュラルで、スヴェンだけが本当に彼を愛してるのではないか、と感じさせる。デンマークでは障害者や高齢者に対する感覚が日本とは大きく違い、本当にナチュラルで日常なのだというのもこれに限らずデンマーク作品を観ていると強く感じることでもある。

日本輸出用のパッケージはグロテスク、だが内容は非常に心温まるヒューマンドラマでありコミカルなサスペンスでもある。上記のパッケージは国内か、英国輸出用パッケージ。下の画像が日本用パッケージ。
ハリウッド映画とも、ヨーロッパ映画とも大きく違う、この北欧映画の感性。ぜひお楽しみください。
フレッシュ・デリ

或る夜の出来事


私のバイブルとも言うべき愛する作品。

アカデミー主要5部門独占という記念すべき記録を打ち立てた永遠の名作。
★キャスト&スタッフ
監督:フランク・キャプラ
製作:フランク・キャプラ ハリー・コーン
原作: サミュエル・ホプキンス
脚本: ロバート・リスキン
撮影: ジョセフ・ウォーカー
音楽: ルイス・シルヴァース
出演: クラーク・ゲーブルクローデット・コルベール、ウォルター・コノリー
★ストーリー************
大金持ちの一人娘エリーは、父親に無断で勝手に婚約をするようなじゃじゃ馬娘。そのせいで父親にクルーザーで監視されるが、エリーは脱出し、婚約者に会いに出かける。ニューヨーク行きのバスに乗り込んだ。そのバスで失業中の新聞記者ピーターと知り合いになる。娘を探そうとする父親は新聞に一面にと彼女の記事を載せ、それを読んだピーターは特ダネをモノにしようと何食わぬ顔で世間知らずのエリーに手を焼きながらも愉快なヒッチハイクの貧乏旅行を続ける。やっとの思いでニューヨークに着いた二人。しかしそこで目にした新聞には“婚約を許す”と言う父親の記事が載っていた。が、その記事に困惑する二人……。そう、既に二人はお互いに惹かれ合う仲になってしまっていた!しかも二人はずっとプラトニックラプ。
最後は二転三転して非常にロマンティックに盛り上がる。
ブコメディの原点、とも言えるこの作品は「古き良き時代」を表現しきっていて、しゃれあり、人情あり、そして男女の細やかな心理描写が見事である。
今では考えられないが、じゃじゃ馬のエリーと言えども純潔を守り、さらにこの危なげな新聞記者、ピーター(クラークゲーブル)がそれにずっと協力しているのがいじらしい。二人は節約のために、宿は一部屋しか取れないが、それでも部屋の真ん中に綱を張り、そこに毛布をかけて「ジェリコの壁」と称してお互いのプライバシーを守り続ける。
最初軟派に見えているピーターが後半になるにつれ、観客には非常に父性本能の豊かな男らしい男に見えてくる。旅の途中に、さまざまなシーンで世間知らずのエリーに基本的な社会教育やたしなみを教え込んでいくピーター。エリーもピーターには従順にならざるを得ない。わがまま放題でヒステリックなエリーの心の奥に潜んでいた愛らしさ、をピーターは無意識にどんどん引き出していってしまうのが非常に印象的。結局、その無意識に引き出してしまったエリーの愛らしさを見て、ピーターは恋に落ちてしまうのだから、予想外の展開ってやはり面白い。

ファザコンの私にはもう、ピーター役のクラークゲーブルががエリーのパジャマのボタンを止めてあげたり、歯ブラシを用意してあげたり、とこまごま世話を焼くたびに、ただただ胸がじ〜〜ん…となり通しの作品であったが、デジタルの一切なかったこの頃の映画として、やはりこの作品は原作、脚本、キャスト、あらゆる角度から見ても王者の冠に輝いていると信じて疑わない。
(1934年 アメリカ映画)

 はじめに

いつの頃からだったか、気づいたら空いた時間はすべて映画、
というような生活になっていました。

ロードショー、DVD、試写会、そして海外や、国際線の中で見た作品など、
印象に残った作品のインプレを残していくつもりです。